くまの鼓動

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安楽死は認められるべきなのか

こんにちは、くまです。

最近、患者にお金をもらった見返りに、患者に薬を投与して安楽死させた医者が逮捕されたというニュースを見ました。

ヨーロッパの一部の国や、アメリカの一部の州では認められている積極的安楽死が日本では認められていないためにこのような事件が起こってしまったとも言えます。

ではこれからの日本では安楽死を全面的に認めていくべきなのでしょうか?

それとも否定していくべきなのでしょうか?

僕は個人的には「賛成」の立場です。

まず、安楽死を最も必要としてるのは体に重い病を抱えている人たちですよね。

体が動かなくて自分の手で何もできなかったり、家族に迷惑をかけたくないという理由で安楽死を望む人は少なくないと思います。

日本でも実はごく限られた条件下でのみ安楽死が認められているのですが、、、

(1)不治の病
(2)耐え難い苦痛
(3)自分の命を終わらせたいという本人の意思表示
(4)担当医または担当医と相談した医師による安楽死

ご覧の通りなかなか条件が厳しく、ほぼ実現不可能といっても過言ではないでしょう。

ですから、まずはこの条件の緩和から進めていくことが先決ではないかと思います。

安楽死の実現を求めているのは体に病を抱えている人だけではありません。

それは、仕事がうまくいかなかったりだとか、人間関係がうまくいかなかったりして心に病を抱えている人たちです。

この世の中十人十色で、どれだけへこたれても前を向いて生きれる強い人ばかりではなくて、なかには悩みを相談できる人がいなくて逃げ場がなく、自ら命を絶ってしまうような人もいます。

僕は後者のような人たちの心の拠りどころとして安楽死が必要だと考えます。

(これから書くことが詭弁であるということは重々承知していますが、あくまでひとつの考え方として受け止めていただけると幸いです)

まず、安楽死を希望した人にはあらかじめ期限を設けます。

たとえば5年にするとします。

なんとなく生きていてもいいことがないから死にたいと思っている人、毎日が生き辛くて今すぐにでも死にたいと思っている人、その人たちに5年という月日を与えるのです。

もちろん、5年経っても状況がなにも改善しない可能性はあります。

ですが、少なくとも突発的に死を選ぼうとしている人をくい止めることはできます。

どうせ5年後に死ぬのなら「後先考えず精いっぱいあがいてやろう」という気持ちになる人もたくさんいるでしょう。

そして5年後に再度意思確認をします。

「この先も生きたいですか?」と。

5年間過ごすうちにQOL(=quority of life)が向上したり、やり残したことができたりして生き続けたいという思いをもった人は、死にかけだった5年前の自分からこうも変われるんだということを誇りにして生きていくことができるでしょう。

残念ながら意思が変わらなかった人も、今まで頑張って生きてきた自分を称えて安らかな死を迎えてほしいと思います。

後半のはなしは、安楽死を執り行う医師のメンタルケア、親族の心情、倫理的にどうなのかなど、様々な観点から到底実現はできない妄想のようなものですが、体の病を抱える人も心の病を抱える人も、両方が救われるような安楽死の在り方になることを切に望みます。

 

命に嫌われている。

命に嫌われている。

  • 発売日: 2020/06/08
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